ことばで義父をいじめていた義母はいま・・・


義父は耳がとても遠くて、補聴器なしでは生活ができませんでした。
おまけに腰が弱くて、しょっちゅうギックリ腰で家族を心配させていました。



義父は好きでそうなったわけではないのに、義母は、またか~という顔で



「あんたは運動しないから腰が痛くなるんだよ!耳だって聞く気がないから
聞こえなくなったんだ」などと冷たいことばで攻撃をしていました  ( ̄▽ ̄)



私は内心、『えっ!そんなこと言っていいの?痛くて辛い時にそれはないでしょ』
と、思っていました。



後から知ったんですけど、義母は義父のことを嫌っていたし、義父にさんざん
嫌な思いをさせられたので、弱っているときに仕返しをしていたんですね (;^ω^)



今みたいに恋愛結婚が主流の時代と違って、親が決めた相手と結婚するのが
当たり前だったので、仕方なしに義父の家に、お嫁入りしたんでしょうね。



考えてみれば義母も可哀想かもしれません。



義父の家には、舅姑に加え義父の5人の弟妹の大家族だったので、それはそれは
苦労をしたと想像できます (;´Д`)



義父の家は農家だったので、家事、野良仕事、子育て、舅姑と弟妹の世話
自分の夫の世話で、とても大変だったと思います。



本当に頭が下がります。





私が夫と出会い結婚したのは、それからずーっと後のバブル全盛期です (^o^)



結婚して暫くは都会で暮らし、自由で気ままな生活を満喫た後の
田舎暮らしとなりました。



都会でのバブル景気は、田舎で感じることは無かったですね~ (;´Д`)
田舎の暮らしを知らなかったからかもしれないけど、なんか毎日が退屈で
しかたありませんでした。



第一に言葉が分からなくて、慣れるのにずいぶん時間がかかりました ( ´∀` )
その頃の夫の実家での仕事は、半農、半商店経営という形態でした。



お客さんの応対では、言葉を理解するのに本当に苦労しました。
都会からそれほど遠くないはずなのに、言葉がまるで外国に来たみたいで
私は、早くもホームシック状態で、東京に帰りたくて仕方ありませんでした。



そんなとき、義父は「あまり無理すんなよ」とか、いろいろ話しかけてくれるので
気持ちが休まり、『もう少し頑張ってみようかな…』なんて思えるのでした。



義母のストレートな物言いのせいで、義父とはすぐに喧嘩へと発展しました。
義父は耳が遠いので大声で怒鳴ります。義母も負けじと、さらに大声を出すので
それはそれは、大変な騒ぎでした  (;・∀・)



こんなに毎日ケンカばかりされていては、子供にも悪影響を及ぼすと思い、
ケンカが始まると大急ぎで子供と2階の部屋へ避難していましたね。



いま考えると、よく我慢できたな・・・と。



ただ、その後に生まれた子供たちにも、心配していた悪影響が現実となり、
大人になったいま、実家に寄りつかなくなってしまいました (T_T)



「オバアちゃんがいるから帰りたくない」
義母には絶対聞かせたくない言葉ですね。いくらなんでも可哀想すぎます。



義父が亡くなってもう10年、義母は耳が遠くなり、腰が曲がり、目も悪くなり
今になって義父に言ったことが自分に返ってきています。



それでも、食欲はあり、トイレやお風呂は一人でも大丈夫なので
なんとか平和に過ごしています。



幸せかどうかは私には分かりませんけど、義父と義母の結婚生活って
本当はどうだったのかな…?なんて思うことがあります。



周りからみれば喧嘩ばかりしていて不幸だったのでは…と思うけど
もしかしたら、本人同士は幸せだったかもしれませんよね。



夫婦のことは、夫婦にしか分からないのだと思います。